shigechi-64's diary

自由・自主・自立・自尊

内田樹『日本辺境論』

読みました。

これは非常におもしろかったです。トビラに読み出したら止まらない、とありましたが本当に止まりませんでした。日本論好きならば読んで損はないと思います。

個人的に最終章の日本語について書かれているくだりがおもしろかったです。日本語ってハチャメチャだなぁとよく思っていますが、もしかしたらこれでいいのかもという気分になりました。この本を読む前に「日本語が亡びるとき」も読みましたが、この特殊すぎる言語は確かに守っていくに値するものかもしれないと今は思っています。

日本辺境論 (新潮新書)

日本辺境論 (新潮新書)

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

日本語が亡びるとき―英語の世紀の中で

「醤油の話」

鎌倉時代のお坊さんで覚心という人がいました。この人はあらゆる仏教の宗派を生涯かけて渡り歩いた人らしいですが、それほど勉強した割にはのちの仏教に影響を与えるほどの業績を残しませんでした。

ただ味噌が好きで、特に宋に留学していた頃に食べた味噌の味が忘れられず、日本でも同じものを作りたいと思いました。
炒った大豆と大麦のこうじに食塩を加えて桶に入れ、ナスや白瓜などをきざみこみ、密閉して熟成させるのです。これは現在「きんざんじみそ」と呼ばれるなめ味噌の元祖ですが、この味噌桶の底に溜まった液で物を煮ると美味であったらしく、これが醤油の原型となったそうです。

私がおもしろいとおもうのは、覚心の人生である。かれは愚直なほどに各宗の体系を物学びしたが、古い宗旨の中興の祖にもならず、また一宗を興すほどの才華もみせなかった。
しかし以下のことはかれの人生の目的ではなかったが、日本の食生活史に醤油を登場させる契機をつくった。後世の私どもにとって、なまなかな形而上的業績をのこしてくれるより、はるかに感動的な事柄のようにおもわれる。

6ページくらいの短い話ですが、人の人生というのはおもしろいなぁと思いました。

司馬遼太郎が考えたこと〈12〉エッセイ1983.6~1985.1 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈12〉エッセイ1983.6~1985.1 (新潮文庫)

Queen『’39』

Queenの「'39」という曲があります。

昔からそれなりに好きな曲だったんですけど、そこまで印象の深い曲ではなくて、フォーク風で素朴な感じの曲だなーくらいの印象で、歌詞の内容もよく判っていませんでした。

それが、実はSFというか浦島太郎というか、そういう感じの内容だったということを最近初めて知りました。宇宙旅行に出かけて1年経って帰ってみたら地球では100年経ってて愛する人はもういない的な。

そう思って聴くとこれがなんとも言えず切ないというか郷愁を誘うというか、かなり印象が変わってしまいました。(良いほうにですが)

洋楽は歌詞の意味も判らず曲の感じだけで好きかどうかを決めてしまっていることも多いんですが、歌詞もやっぱり大事だなあということを改めて感じたのでした。

「オペラ座の夜」<最新リマスター・エディション>

「オペラ座の夜」<最新リマスター・エディション>

山本七平『「空気」の研究』

読みました。

「空気を読めない人」というのは日本においては言われたくない言葉のかなり上位に入る言葉だと思います。しかし、集団ぐるみ破滅に向かって突っ走っているときに、それを救うのはまさに「空気を読めない人」なんだろうと思います。この本では「水を差す」人と表現しています。

空気を読むことによって物事が円滑に進む場合があるというのは事実ですが、同時にある種の息苦しさの原因にもなります。空気の読めない人は社会には一定数必要で、またそれを許容できる社会のほうがより健全ではないかと思います。

「空気」とはまことに大きな絶対権をもった妖怪である。一種の「超能力」かも知れない。何しろ、専門家ぞろいの海軍の首脳に、「作戦として形をなさない」ことが「明白な事実」であることを、強行させ、後になると、その最高責任者が、なぜそれを行ったかを一言も説明できないような状態に落し込んでしまうのだから、スプーンが曲がるの比ではない。こうなると、統計も資料も分析も、またそれに類する科学的手段や論理的論証も、一切は無駄であって、そういうものをいかに精緻に組みたてておいても、いざというときは、それらが一切消しとんで、すべてが「空気」に決定されることになるかも知れぬ。とすると、われわれはまず、何よりも先に、この「空気」なるものの正体を把握しておかないと、将来なにが起るやら、皆目見当がつかないことになる。

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

「空気」の研究 (文春文庫 (306‐3))

新撰組

新撰組が好きです。

昔「おーい!竜馬」を読んだときは、竜馬の邪魔をする権力の手先的な印象であまり好きじゃなかったんですけど、その後いろいろな本などで知るにつれ、プロフェッショナル集団的なカッコ良さがあっていいなぁと思うようになりました。

集団で人を殺しまくった(内部でも)武装警察ですけど、まぁお役目ですからしょうがないですよね。連中も精いっぱい生きただけってことだと思います。

「近藤先生も心配しておられる」
「恐縮です。しかし男ですからな、女ができるのがあたり前でしょう」
「言葉をつつしみなさい。そのとおり近藤先生に申し上げてよろしいか」
「どうぞ」
斎藤は言ってしまった。むしゃくしゃした。女が出来た、というだけで、その女をどうこうしよう、というわけではない。わが子を差しあげて権勢を得ようとするやつよりましだろう。

新選組血風録 (角川文庫)

新選組血風録 (角川文庫)

引用に別段意味はないんですけども。

雨で鬱

雨の日は軽快に行動できなくなるし、頭が痛くなったりするので嫌いです。
でも家でのんびりできる時に雨が降っているのは嫌いじゃないかもしれない。雨の音は集中力を高めるともいいます。

ところで、責任の所在がはっきりしない仕事はやりにくいし、嫌ですよね。責任がぼかされると失敗したときはうやむやにできるので便利なんですが、ここからここまで、ってはっきり決まっているところで最大のパフォーマンスを出す、というのが僕は好きです。

「日本仏教と迷信産業」

司馬遼太郎が考えたこと」というシリーズの第11巻に「日本仏教と迷信産業」という文章が載っていて、おもしろいと思ったので紹介します。

概要

原文はかつて文藝春秋で連載されていた「雑談・隣りの土々(くにぐに)」というシリーズの第3回目だそうで、1982年に発表となっています。

仏教におけるそもそもの教義や、どのように日本に入ってきたのか、またインドから中国、日本へ伝来する過程でどのように変質し、日本国内でも時代によってどう変わっていったのかということが書かれています。そして現代のいわゆる葬式仏教は本来の仏教とはほとんど無関係であるとし、一部の産業化した日本仏教をやや批判する内容になっています。

以下、本文も引用しつつ紹介していきたいと思います。

「効きめ」主義の国家仏教

インドを発祥とし、中国を経て6世紀中ごろに日本に公式輸入された仏教は「効きめ」主義の国家仏教だったといいます。

「効きめ」主義というのは、つまり信仰の対価として個人の健康や一族の繁栄、国家鎮護を願うという発想で、もともと釈迦が始めた仏教にはそのような面はありません。原始仏教の目的はあくまでも自己の「解脱」で、前述のような現世利益を求める心とはいわば反対のスタンスであったと言えそうです。また、意外にも霊魂という考え方も本来の仏教にはないんだそうです。

お釈迦さんが亡くなって火葬に付し、その骨は舎利、お釈迦さんの遺体の一部としてみんなで大事にするということはありましたが、しかしお釈迦さんのお墓がどこにある、ということはないんですね。つまり、仏教とお墓は関係ないということです。またお釈迦さんの高名な弟子たちにも、遺骨や、お墓はない。全部「空」に帰したわけです。本来、生身のあいだは解脱を目指し、死ねば「空」に帰すというのが仏教です。霊魂というものも仏教にはないのです。
何代か前に死んだ人が祭られずに祟っているから、お坊さんを呼んでお経をあげてもらいなさい、そうしたら霊が浮かばれて幸福がくるというのは、これはどこにオリジンがあるのかわかりませんが、とにかくインド仏教にはないわけです。

ではなぜ、「効きめ」主義の国家仏教が入ってきたかというと、隋・唐時代の中国を経由したからです。
隋・唐の仏教は国家仏教でした。また、隋・唐時代の仏教は、密教の影響が強く、中国にもともと存在した道教とも結びつき、しぜん呪術的な要素が濃くなったといいます。

密教 - Wikipedia

道教 - Wikipedia

つまり王や貴族が自分たちの死後の安らぎのためにお祈りする、またはさせるということで、解脱などということはあまり考えていません。この時点で原始仏教から大きく変質していると思いますが、ともかく日本に入ってきたのは最初からこのように変質した仏教だったわけです。

ちなみに王や貴族、つまり富裕層がなぜ密教に惹かれたかというのは、密教には即身成仏という考え方があるからです。本来の仏教はすべて捨てよ、人間の持つあらゆる煩悩を捨てよということですが、密教はそれらを全て所有したまま仏になる、つまり即身成仏するという体系ですから富裕層の願望に合致していました。同じ仏教とは思えないほどの発想の転換が、この時点で既にあるといえます。

日本での、さらなる変容

この「効きめ」主義の国家仏教はもともと天皇や公家のものとして受容されたわけですが、鎌倉期に入って庶民にも浸透していきます。

その中で大きな役割を果たしたのが浄土系仏教です。法然が浄土宗を開き、法然の弟子である親鸞はさらにそれを純粋結晶化したような浄土真宗の開祖となります(これは後の時代に教団が形成されるようになってからそのように解釈されるようになったものです。親鸞自身は最後まで法然の弟子としてふるまい、新しい宗派を開いたとは思っていませんでした)。

親鸞の唱えた仏教は、もはや釈迦の仏教とは決定的に違うものになっていました。つまり阿弥陀仏という絶対者を設け、自力での解脱を諦め、より救済教的になったのが浄土真宗でした(自力での解脱を諦めたというと何だか自堕落に聞こえますが、これは親鸞が極限まで自己対峙して辿り着いた結論であり、ひとつの完成された思想です)。

ところがふしぎなことに、焼かれた人は、遺骸をすてて西方浄土に旅立ちます。真宗原始仏教と同様、霊魂を否定していますから、その人の何がお浄土詣りするのでしょう。これについては、親鸞蓮如もその後の本願寺も、何もいっていません。西方浄土へゆくということになると、いよいよ釈迦の知らざるところであって、釈迦がそういうことをきけば、跳び上がるのではないでしょうか。

司馬遼太郎によると、日本人は自力での解脱というような厳しさをあまり好まないのだそうです。

自らが自らの力で成仏するという、つらい、たいへんな力が必要になるのですけれども、日本人はこういう厳しさをあまり好まないんですね。天然自然がいい、母性的なほうがいい、赤ん坊はいくら泣いてもお母さんがあやしてくれる、そういう雰囲気がいいというのが、日本における阿弥陀信仰の大きな成立要因になっていきます。

日本の仏教は庶民を騙している?

このように釈迦の仏教とは大きく異なる発展を遂げた日本仏教ですが、現在当然のように仏教の習慣と思われているもので、そもそも仏教とは関係がないことがいくつかあります。

そのひとつが戒名というものです。日本仏教は中国を経由したので漢字表現で、お坊さんは中国人でした。日本でも僧になると中国の名前をつけました。最澄とか空海とか法然とかですね。そのお坊さんが葬式を主導し始めたのが室町時代からといいます(正確には正規の僧ではなく、聖(ひじり)と呼ばれるちょっと胡散臭い人たち)。

俗人が死ぬと僧になったということにして名前を付けたのが戒名の始まりだそうです。この戒名というものは仏典には存在しない日本だけの俗風です。中国風の名前をつけてもらって喜ぶのは釈迦の仏教とはまったく関係がない、とこの文章では指摘しています。

また、お骨に呪術性や聖性を感じるのも日本の特徴だそうです。先ほども出た聖(ひじり)というのは、諸国を歩き、弘法大師のご利益を売ってまわった人たちのことですが、この人たちの一番の営業品目が、誰か近しい人が死んだときにお骨を高野山へ持って行ってあげますよ、ということだったといいます。日本に特有のお骨信仰を広めたのは聖たちではなかったか、と司馬遼太郎は言っています。しかしこれも本来の仏教とは何の関係もありません。

それにしてもお大師(空海)さんの傍にお骨を埋めるということは、どうなんでしょう。即身成仏でもなければ、浄土へ行くのでもなく、どういう教義とも関係はないと思うんですけれど。

さらに、日本では葬式仏教という言葉もあるように、人が死んだら出番みたいな感がありますが、そもそも釈迦は死について語らなかったといいます。

あるとき、ウパーシーヴァという門人が「解脱した人間が死ねば、どうなりますか。かれは存在しなくなるのでしょうか。あるいは常住なのでしょうか」とたずねました。
(中略)
「ウパーシーヴァよ、滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。ああだこうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされるとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまうのである」
死とはそういうものだ、とつき放しています。

司馬遼太郎キリスト教と比較して、日本仏教に見られる論理的な脈絡のなさを指摘しています。いわく、キリスト教はゴッドというものを先に設定し、それに矛盾がおきないように分厚い論理を構築してきたのに対し、日本の仏教は神学的には矛盾だらけだが日本人はそれには頓着しない、と言っています。

これはどちらかが優れているという話ではもちろんありません。単なる事実の比較ですが、いわゆる葬式産業がその上に乗っかって古代がえりしている、ということもこの文章では言われています(しかしこのくだりはやや意味が不分明です。オカルト的だという意味でしょうか)。

以下の一文は、この文章における司馬遼太郎の気分をよく表している箇所だと思います。

日本の仏教史というものは、相当われわれ庶民を騙してきた、それもいろんな騙し方をしてきたなと思います。土俗と習合して論理的に変なところがいっぱいあるんですね。もっともそこがいいところだといわれれば、それまでですけれども。

最後に

このエントリは、だから日本仏教は駄目だとか、そういう意図で書いたわけではもちろんありません。また、特定の宗派を貶めたり持ち上げたりする意図もまったくありません。個人的には日本の仏教が庶民を騙そうが、葬式産業がそれに乗っかろうが、別にいいと思っています。もともと宗教を含む思想というものが壮大なフィクションなので、騙す騙されるという関係とは紙一重のものだと思います。

僕がおもしろいと思った点は、何気ない慣習を疑う視点と、原理原則に戻ってみる姿勢です。こうした姿勢は問題解決に役に立つことが多いと感じていて、共感しながら読みました。読み終わって、外来の思想と土俗が対立せずに混ざり合っていく日本の面白さを感じました。

ただこの文章は1982年のものなので、その当時の現代といっても30年近く前の話になってしまっています。2009年現在、日本仏教やお葬式産業を取り巻く状況がいろいろと変わっている可能性はありますが、そのあたりについての知識がないのでよくわかりません。このエントリではかなり要約してしまっていますが、本文は司馬遼太郎らしく余談の多い文章になっていますので興味のある人は一度読んでみて下さい。

司馬遼太郎が考えたこと〈11〉エッセイ 1981.7~1983.5 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈11〉エッセイ 1981.7~1983.5 (新潮文庫)