「日本仏教と迷信産業」

司馬遼太郎が考えたこと」というシリーズの第11巻に「日本仏教と迷信産業」という文章が載っていて、おもしろいと思ったので紹介します。

概要

ソースはかつて文藝春秋で連載されていた「雑談・隣りの土々(くにぐに)」というシリーズの第3回目だそうで、1982年に発表となっています。仏教におけるそもそもの教義や、どのように日本に入ってきたのか、またインドから中国、日本へ伝来する過程でどのように変質し、日本国内でも時代によってどう変わっていったのかということが書かれています。そして現代のいわゆる葬式仏教は本来の仏教とはほとんど無関係であるとし、一部の産業化した日本仏教をやや批判する内容になっています。以下、本文も引用しつつ紹介していきたいと思います。

「効きめ」主義の国家仏教

インドを発祥とし、中国を経て6世紀中ごろに日本に公式輸入された仏教は「効きめ」主義の国家仏教だったといいます。「効きめ」主義というのは、つまり信仰の対価として個人の健康や一族の繁栄、国家鎮護を願うという発想で、もともと釈迦が始めた仏教にはそのような面はありません。原始仏教の目的はあくまでも自己の「解脱」で、前述のような現世利益を求める心とはいわば反対のスタンスであったと言えそうです。また、意外にも霊魂という考え方も本来の仏教にはないんだそうです。

お釈迦さんが亡くなって火葬に付し、その骨は舎利、お釈迦さんの遺体の一部としてみんなで大事にするということはありましたが、しかしお釈迦さんのお墓がどこにある、ということはないんですね。つまり、仏教とお墓は関係ないということです。またお釈迦さんの高名な弟子たちにも、遺骨や、お墓はない。全部「空」に帰したわけです。本来、生身のあいだは解脱を目指し、死ねば「空」に帰すというのが仏教です。霊魂というものも仏教にはないのです。
何代か前に死んだ人が祭られずに祟っているから、お坊さんを呼んでお経をあげてもらいなさい、そうしたら霊が浮かばれて幸福がくるというのは、これはどこにオリジンがあるのかわかりませんが、とにかくインド仏教にはないわけです。

ではなぜ、「効きめ」主義の国家仏教が入ってきたかというと、隋・唐時代の中国を経由したからです。隋・唐の仏教は国家仏教でした。また、隋・唐時代の仏教は、密教の影響が強く、中国にもともと存在した道教とも結びつき、しぜん呪術的な要素が濃くなったといいます。
密教 - Wikipedia
道教 - Wikipedia
つまり王や貴族が自分たちの死後の安らぎのためにお祈りする、またはさせるということで、解脱などということはあまり考えていません。この時点で原始仏教から大きく変質していると思いますが、ともかく日本に入ってきたのは最初からこのように変質した仏教だったわけです。
ちなみに王や貴族、つまり富裕層がなぜ密教に惹かれたかというのは、密教には即身成仏という考え方があるからです。本来の仏教はすべて捨てよ、人間の持つあらゆる煩悩を捨てよということですが、密教はそれらを全て所有したまま仏になる、つまり即身成仏するという体系ですから富裕層の願望に合致していました。何だか同じ仏教とは思えないほどの発想の転換ですね。

日本での、さらなる変容

この「効きめ」主義の国家仏教はもともと天皇や公家のものとして受容されたわけですが、鎌倉期に入って庶民にも浸透していきます。その中で大きな役割を果たしたのが浄土系仏教です。法然が浄土宗を開き、法然の弟子である親鸞はさらにそれを純粋結晶化したような浄土真宗の開祖となります(これは後の時代に教団が形成されるようになってからそのように解釈されるようになったものです。親鸞自身は最後まで法然の弟子としてふるまい、新しい宗派を開いたとは思っていませんでした)。
親鸞の唱えた仏教は、もはや釈迦の仏教とは決定的に違うものになっていました。つまり阿弥陀仏という絶対者を設け、自力での解脱を諦め、より救済教的になったのが浄土真宗でした(自力での解脱を諦めたというと何だか自堕落に聞こえますが、これは親鸞が極限まで自己対峙して辿り着いた結論であり、ひとつの完成された思想です)。

ところがふしぎなことに、焼かれた人は、遺骸をすてて西方浄土に旅立ちます。真宗は原始仏教と同様、霊魂を否定していますから、その人の何がお浄土詣りするのでしょう。これについては、親鸞蓮如もその後の本願寺も、何もいっていません。西方浄土へゆくということになると、いよいよ釈迦の知らざるところであって、釈迦がそういうことをきけば、跳び上がるのではないでしょうか。

司馬遼太郎によると、日本人は自力での解脱というような厳しさをあまり好まないのだそうです。

自らが自らの力で成仏するという、つらい、たいへんな力が必要になるのですけれども、日本人はこういう厳しさをあまり好まないんですね。天然自然がいい、母性的なほうがいい、赤ん坊はいくら泣いてもお母さんがあやしてくれる、そういう雰囲気がいいというのが、日本における阿弥陀信仰の大きな成立要因になっていきます。

日本の仏教は庶民を騙している?

このように釈迦の仏教とは大きく異なる発展を遂げた日本仏教ですが、現在当然のように仏教の習慣と思われているもので、そもそも仏教とは関係がないことがいくつかあります。
そのひとつが戒名というものです。日本仏教は中国を経由したので漢字表現で、お坊さんは中国人でした。日本でも僧になると中国の名前をつけました。最澄とか空海とか法然とかですね。そのお坊さんが葬式を主導し始めたのが室町時代からといいます(正確には正規の僧ではなく、聖(ひじり)と呼ばれるちょっと胡散臭い人たち)。俗人が死ぬと僧になったということにして名前を付けたのが戒名の始まりだそうです。この戒名というものは仏典には存在しない日本だけの俗風です。中国風の名前をつけてもらって喜ぶのは釈迦の仏教とはまったく関係がない、とこの文章では指摘しています。
また、お骨に呪術性や聖性を感じるのも日本の特徴だそうです。先ほども出た聖(ひじり)というのは、諸国を歩き、弘法大師のご利益を売ってまわった人たちのことですが、この人たちの一番の営業品目が、誰か近しい人が死んだときにお骨を高野山へ持って行ってあげますよ、ということだったといいます。日本に特有のお骨信仰を広めたのは聖たちではなかったか、と司馬遼太郎は言っています。しかしこれも本来の仏教とは何の関係もありません。

それにしてもお大師(空海)さんの傍にお骨を埋めるということは、どうなんでしょう。即身成仏でもなければ、浄土へ行くのでもなく、どういう教義とも関係はないと思うんですけれど。

さらに、日本では葬式仏教という言葉もあるように、人が死んだら出番みたいな感がありますが、そもそも釈迦は死について語らなかったといいます。

あるとき、ウパーシーヴァという門人が「解脱した人間が死ねば、どうなりますか。かれは存在しなくなるのでしょうか。あるいは常住なのでしょうか」とたずねました。
(中略)
「ウパーシーヴァよ、滅びてしまった者には、それを測る基準が存在しない。ああだこうだと論ずるよすがが、かれには存在しない。あらゆることがらがすっかり絶やされるとき、あらゆる論議の道はすっかり絶えてしまうのである」
死とはそういうものだ、とつき放しています。

司馬遼太郎キリスト教と比較して、日本仏教に見られる論理的な脈絡のなさを指摘しています。いわく、キリスト教はゴッドというものを先に設定し、それに矛盾がおきないように分厚い論理を構築してきたのに対し、日本の仏教は神学的には矛盾だらけだが日本人はそれには頓着しない、と言っています。これはどちらかが優れているという話ではもちろんありません。単なる事実の比較ですが、いわゆる葬式産業がその上に乗っかって古代がえりしている、ということもこの文章では言われています(しかしこのくだりはやや意味が不分明です。オカルト的だという意味でしょうか)。以下の一文は、この文章における司馬遼太郎の気分をよく表している箇所だと思います。

日本の仏教史というものは、相当われわれ庶民を騙してきた、それもいろんな騙し方をしてきたなと思います。土俗と習合して論理的に変なところがいっぱいあるんですね。もっともそこがいいところだといわれれば、それまでですけれども。

最後に

このエントリは、だから日本仏教は駄目だとか、そういう意図で書いたわけではもちろんありません。また、特定の宗派を貶めたり持ち上げたりする意図もまったくありません。個人的には日本の仏教が庶民を騙そうが、葬式産業がそれに乗っかろうが、別にいいと思っています。もともと宗教を含む思想というものが壮大なフィクションなので、騙す騙されるという関係とは紙一重のものだと思います。
僕がおもしろいと思った点は、何気ない慣習を疑う視点と、原理原則に戻ってみる姿勢です。こうした姿勢は問題解決に役に立つことが多いと感じていて、共感しながら楽しく読みました。読み終わって、外来の思想と土俗が対立せずに混ざり合っていく日本の面白さを感じました。
ただこの文章は1982年のものなので、その当時の現代といっても30年近く前の話になってしまっています。2009年現在、日本仏教やお葬式産業を取り巻く状況がいろいろと変わっている可能性はありますが、そのあたりについての知識がないのでよくわかりません。このエントリではかなり要約してしまっていますが、本文は司馬遼太郎らしく余談の多い文章になっていますので興味のある人は一度読んでみて下さい。

司馬遼太郎が考えたこと〈11〉エッセイ 1981.7~1983.5 (新潮文庫)

司馬遼太郎が考えたこと〈11〉エッセイ 1981.7~1983.5 (新潮文庫)